パリで不妊治療

わたし・34歳 旦那・33歳。パリ在住。こどもを望みはじめて半年で不妊治療。顕微体外受精7サイクルトライ。

卵子提供についての家族会議

グローバル社会とはこういうものだな。

一晩たったら、母親から妹に卵子提供のことを話した旨、彼女は基本的に私がそうしたいならOKな感じだからなるべく早く直接話してみてとのメールが入っていた。母親もいてもたってもいられなくて、JISARTで日本の卵子提供について調べたり、妹に打診したりしたのだろうと思うと、やはり家族は優しいなあと思う。私が不妊治療を開始する時にも、前のめって妹にその話をしているのを思い出して、母親のせっかちさが少しおかしかった。

旦那には、「妹がもしかしたら、卵子提供OKかも」と伝えると、「絶対に妹のプレッシャーになるようなかたちにはなってはいけない。母親からは何も聞いていない体で話してみたほうがいい」と言われたが、それはちょっと無理があるでしょと笑ってしまった。よくも悪くもうちの家族で、「言わないでね」が守られることはほぼない。

確かに、家族の優しさに甘えて負担になるのは心苦しい。

とか考える間も無く、翌日早朝には妹から、話は聞いたから電話してくれとメッセージがある。それにしても話が早すぎでしょ。

妹からは、ず自分が当事者ではないという前提で考えた場合には、他人からの卵子提供のほうがいいと思っていること。生まれたこどもというよりも、私自身との関係を変えないかということが主な不安要因であること。もしかしたら卵子提供ということを難しく考えすぎていて、もっとおおらかな目で見れば大したことではないのかも、などなど。

私も自分の意見がはっきり定まっているわけではない。ただ両親には受け入れやすい選択肢であることは明確だし、それを考えると妹から卵子提供を受ける方に気持ちが傾く。まだ時間をかけてお互い考えようということになった。

数時間後には「色々考えたけど、やっぱり結局一番は君の力になりたいという気持ちが強いから、ふたり(私と旦那)がそれを望むならどうぞって思っているよ。旦那とはまだ話せていないけど」とのメッセージ。

 

私は本当に家族に恵まれているなぁ。小さい頃からの妹の姿が走馬灯のごとく感じられる。自分のあとをついてきた妹、二段ベッドで妹とよく電気を消してからも話し込んでいたこと、反抗期で扱いづらかった妹、大学生になってからはむしろまた近い存在になり、妹とする旅行が一番楽しかった。社会人になってからも、いい同居人。私が東京を離れたのち、結婚し、母親になり、こうやって生活にラグができて、自然と共有しないことが増えて、お互いの家族が優先になって、距離ができていくものだろうと感じているところだった。

当然、わたしは妹の気持ちがすごく嬉しい。そして妹は私がそう感じることが、自分たちのフラットな関係を変えてしまわないか。自分が妹に一生ものの借りをつくったと思ってしまう、もしくは、いつか喧嘩した時に、卵子を提供してやったのにと意地悪な気持ちになってしまったら、と不安に思っているようだ。

後日、母からは、妹はできれば私にもこどもを持って欲しいと思っていること。自分の子育てをあまり共有できなくて、私にこどもがいたらもっといろんなことが話せて楽しいのになと思うことがある。と話していると聞いた。

そうだよなぁ、そうしたら楽しいよなぁ。